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【感想&解説】『潜水服は蝶の夢を見る』を読んで【”生”と向き合う】

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『潜水服は蝶の夢を見る』簡単解説

『潜水服は蝶の夢を見る』は、「全身が麻痺して動けなくなった難病の患者が闘病中に綴った手記」です。

著者のジャン=ドミニック・ボービーは雑誌の編集長として手腕を発揮していましたが、43歳のある日、突然、脳出血で意識を失います。そして、昏睡状態から目覚めた時には全身が麻痺しており、喋ることすらできない状態になっていました。しかしながら、唯一、左目だけは「まばたき」をすることができ、知力や思考力は完璧に元のまま、という状況でした。

彼は大きなハンデを負いながらも執筆活動を始めます。協力者にアルファベットを読み上げてもらいながら、表したい文字のところで「まばたき」をして一文字ずつ紡いでいき、完成したのが本書です。完成までにはなんと20万回以上も「まばたき」をしたというのですから驚きです。

突然、訪れた災難

『ある日、目覚めたら病室の中。全身が麻痺して、喋ることすらできなくなっていた。』

こんな状態を想像してみて下さい。あなたはその時、一体何を想うでしょうか。

もし私であれば、状況を飲み込んだ後で、自分の運命に”絶望”してしまうかもしれません。しかしボービーは、意外にも自身の置かれた状況を冷静に捉えており、本書には悲壮感を感じさせない文章が綴られていきます。

たとえばある日、僕は自分を、笑ってしまいそうになる。四十四歳にもなって、赤ん坊のように、体を洗われ、うつぶせにされ、拭われ、服にくるまれるとは。まるで退行現象だなと、おかしくてたまらない。

『潜水服は蝶の夢を見る』(講談社)23ページ

「自分の身体が自分のモノじゃないみたい」といった感じでしょうか。筆者は全身麻痺という身体的不自由に縛られず、時には創造世界を旅行したり、過去の記憶を辿ったりと、意識の中を自由に飛び回ります。

”生”と向き合う

入院生活のエピソードの一つとして、患者の診察をいかにも”仕事”とばかりに淡々と捌いていく、マニュアル人間のような眼科医の話が出てきます。

ボービーはこの眼科医の退屈な診察の中で、「二重に見えますか?」という呼びかけに対し、心の中で・・・・『はい、バカがふたり見えます。』と答えることを小さな楽しみにしている、と綴っていました。

困難な状況にあっても、日常の中に喜びや楽しみ、時には怒りの感情を抱くこと、人間的な”生”に向き合うことを止めなかったことが分かるエピソードです。

筆者の魂の叫びが、次のような文章で表現されています。

生きている限り、呼吸をする必要があるのと同じように、僕は、感動し、愛し、感嘆したい。する必要がある。そして実際、友からの手紙や、バルテュスの絵の絵葉書や、サン=シモンの文章の一ページは、過ぎゆく時間に意味を与えてくれる。だが警戒すべきことは警戒し、なまぬるいあきらめの中に落ちていかないためには、一服の怒りと、嫌悪も、失ってはなるまい。そして決して多過ぎず、また少なすぎないのがいい。ちょうど圧力鍋についている、あの爆発防止のための安全弁の具合のように。

ボービーは手足を動かせないため、外を散歩したり、気の知れた友人と旅行することができません。口を動かせないため、家族と会話することもできません。それでも、ベッドに寝たきりの単調な日常の中に、小さな喜びや怒りの感情をどんどん見出していきます。

目の前の患者をまるで”人形”のように扱う眼科医との対比が鮮烈で、とても印象に残る一節でした。

さいごに

今回は、『潜水服は蝶の夢を見る』を紹介しました。

私たち現代人は日々の仕事に忙殺されて、「”人間的”な営み」を忘れてしまっているのではないか。ボービーの生き様を見ていると、そう考えさせられます。

また、困難な状況においても必死で”生”と向き合う彼の姿を見ていると、私たちはもっともっと、人生を楽しむ義務があるのではないか、と思ったりもします。

「まばたき」で綴られた文章とはとても思えないほど、面白く、考えさせられる本でした。

彼の人生に興味を持った方は、ぜひ手に取って読んでみて下さい。

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