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【感想&解説】『「働き方改革」の人類史』を読んで

目次

『「働き方改革」の人類史』簡単解説

『「働き方改革」の人類史』は、「人類の”働き方”がどのように変遷し、現在の労働体系に至ったかを、人類の長い歴史から読み解いていく本」です。

著者の尾登雄平さんは、出版社に勤務しながら歴史ライターとして執筆活動も行っている方です。世界史の専門的なネタを投稿しているブログ『歴ログ』が人気を博しています。

本書では、「働き方の歩み」を理解するために古代ギリシャの時代まで遡り、農業革命や産業革命などを経験する中で、働き方がどう変化していったのか明らかにしていきます。

「”働き方”という観点でみる人類史に興味がある」、「現代の労働基準がどう形成されていったのか知りたい」という方におすすめの本です。

「時間感覚」が普及するまで

現代に生きる我々は、基本的に週40時間労働(一日8時間労働)、週休2日で働いています。

でも、一体いつの時代から、人類はこのような労働体系で働いているのでしょうか。一体誰が、このような労働時間を決めたのでしょうか。

人類は長い間、「時間」という概念に囚われず生きていました。

例えば、狩猟採集民であった時代は、食料が必要なタイミングで必要な分だけ、狩りや採集作業を行っていました。狩りや採集作業に当てる時間は日によってまばらですが、だいたい平均すると4~7時間/日、週休2~3日程度だったと言われています※1

人類が農業をするようになってからは、基本的に自然のリズムで作業に従事していました。畑での作業は日が昇ってから日が落ちるまで、雨の日は休んだり農耕器具の修理などに当てるなど、まさに「晴耕雨読」の働き方と言えます。

人類はそもそも、「時間」に対してゆるい感覚しか持っていませんでした。一般人が生活の中で「時間」を厳密に認識し出すようになったのは、12世紀以降、中世ヨーロッパでキリスト教が農村まで広がり、教会の鐘の音が浸透するようになってからのようです。

教会の鐘は、基本的には聖職者の「お勤め」の時間に合わせておよそ3時間ごとに鳴っていました。(中略)

鐘の音によって人々は労働の開始や終了、お祈りの時間を把握するようになりました。

『「働き方改革」の人類史』(イースト・プレス)100ページ

なお、日本では江戸時代(17世紀)に一部の地域で鐘楼が設置され、人々に時刻を知らせるようになりました。日本人はほんの数百年前まで、古代以来の素朴な時間感覚のまま暮らしていたことになります。

「労働時間」という概念の誕生

毎日決まった時間働く「労働時間」の概念が生まれたのは、19世紀に起こった産業革命によって「工場労働」が一般化してからのことです。

産業革命によって工業が盛んになると、昼夜関係なく機械のリズムで生産活動をするようになります。また、安い労働力として移民労働者が大量に雇い入れられたことで、労働者を一括管理する必要性が生まれ、現代のような「労働時間」という概念が普及していきました。

工場の経営者たちは、生産性を上げるために「労働者をできるだけ長く」働かせようとしていました。例えば、1860年頃の一般的な労働時間は週に65時間、一日11~12時間と言われています。

その後、労働時間は次第に短縮されていきますが、19世紀後半の時点でも、製造業では1日10時間、週6日が一般的だったようです。

労働者が「毎日〇時から〇時まで決まった時間働く」ようになったのは、つい100~200年前からの話だったのは驚きです。

「労働時間の短縮」に向けた動き

20世紀に入ると、労働時間のさらなる短縮に向けた動きが活発化していきます。その根底にあったのは、「労働時間の短縮によって社会が繁栄し、経営者にも利益をもたらす」という一見斬新な思想でした。

本書では当時のアメリカ労働組合組織のリーダーだったサミュエル・ゴンバースの言葉を引用し、この思想を紹介しています。

労働時間が長いところでは人間は安いのです。人間が安いところでは発明の必要はないのです。(中略)

一日10時間働く人間が労働時間を9時間に短縮されたならば、あるいは一日9時間働く者が8時間に短縮されたならば、それは何を意味するでしょうか。それは思考のための何百万という黄金の時間と機会ができることを意味します。

『「働き方改革」の人類史』(イースト・プレス)122ページ、『史料で読むアメリカ文化史3』の引用箇所』

「労働時間を短縮することで、どうすれば人海戦術以外で生産性を上げられるかに思考が巡り、優れた発明やイノベーションが生まれる。すると、社会は繁栄し、巡り巡って経営者にも利益をもたらす」という考え方が次第に普及していき、各国で8時間労働が法制化されていきました。

8時間労働が法律で定められた時期
  • 1917年:ロシア
  • 1919年:ドイツ
  • 1919年:フランス
  • 1947年:日本(労働基準法)

日本では、戦後1947年に労働基準法が定められ、一日8時間労働が一般化しました。ただし、この時はまだ「週48時間制」と定められており(週休1日)、現在の週休2日制になったのは労働基準法で「週40時間制」に改定された1987年からです。

つい最近まで、私たち日本人は土曜日も当たり前のように働いていたんですね。

さいごに

岸田政権が始まって「働き方改革」という言葉をよくニュースで見聞きするようになりました。

政府が声を上げて「長時間残業の是正」などを経済界に求めているのは、労働基準法で「週40時間制」が定められているにもかかわらず、「サービス残業」が常態化していたのが背景にあります。

また、今後日本は高齢化が進んで労働人口が減少すると見込まれており、これまでの根性論的な「モーレツに働く」やり方だけでは限界を迎えることも念頭にあるのかもしれません。

私たちの働き方は大きく変化してきましたが、今の労働基準が”当たり前”ではなく、産業革命以降続いている「働き方改革」の途中にあると捉えると、また違った社会の見方ができるのではないでしょうか。

以上、本記事では『「働き方改革」の人類史』を紹介しました。

興味を持った方はぜひ一読してみて下さい。

※1:参考文献『石器時代の経済学』(法政大学出版局)

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