今回は、『日本辺境論』(内田樹)について紹介します。
『日本辺境論』簡単解説
『日本辺境論』は、「辺境の地・日本で生活を営む民族(=日本人)の国民性を暴いた本」です。
著者の内田樹さんは、文筆家であり大学教授の方です。
著者は、「私たちが普段何気なく感じる日本人特有の気質(同調圧力、周りキョロキョロなど)はすべて日本人の”辺境性”という概念で説明できる」と本書で主張します。
本記事では、この「辺境性」というキーワードに焦点を当てて解説してみたいと思います。
決まらない、終わらない会議
サラリーマンの皆さんであれば、次のような場面に幾度となく遭遇したことがあるかと思います。
(この会議、いつまで経っても方針決まらんし終わらん…。)
出席者が意見を好き放題言うだけで、誰も率先して進行役を買って出る人がいない。終盤になってほぼ方針が決まりかけているのに、誰も最後の「よし、これでいこう!」を言わない。
日本人は、「俺についてこい!」と先頭を歩きたがりません。常に旗振り役が現れるのを待ち、誰か言い出しっぺがいれば、喜んでその背中をついていきます。
これは、別に日本人の能力が劣っていること示すための例ではありません。実はこれが、日本人”そのもの”なのです。
常にあたりをキョロキョロし、二番煎じを狙う日本の国民性は、一体どのように醸成されたのでしょうか。
決めてくれる人を探す国民性
日本は辺境であり、日本人固有の思考や行動はその辺境性によって説明できるというのが本書で私が説くところであります。
『日本辺境論』(新潮新書)No.8-9、Kindle版
筆者がいう「辺境性」とはなんでしょうか。
そもそも「辺境」とは、「中央から遠く離れた地帯」のことを意味します。
どうやら日本は、中央から遠く離れているみたいです。それでは、中央とはどこでしょうか。
それは、中国です。
学校の日本史の授業で遣隋使・遣唐使の存在を学ぶように、日本は昔から中国に仕えてきた事実があります。
中華王朝を中心として回るこの世界で、遠く離れた位置に存在する脇役「日本」。このような世界観を、私たち日本人は遥か昔に受け入れているのです。
日本列島の住民たちが彼らを「東夷」と格付けするこの宇宙観に同意署名したのは今から千八百年ほど前のことです。列島の一人の王が領土を実行支配しているという事実についての公的認知を中華皇帝に求めました。そして、皇帝からの自治領の支配者の封爵を授かりました。それが、卑弥呼と呼ばれる女王です。
『日本辺境論』(新潮新書)No.690-693、Kindle版
日本は長い間、中華王朝の属国として貢物を献上することで、外交秩序を保っていました。
筆者は、日本人に見られる国民性はまさにこの歴史に根差していると言います。
「従うべきは外にあり、指示が下るのを待ち続ける。常にきょろきょろしながら、自分の振る舞いで相手の機嫌を損ねていないか心配する。」
なんだか悔しいですが、「我々の国民性はその辺境性にある」と言われると、納得せざるをえません。
外を羨むな、とことん日本人で行こう
このように見ると、
じゃ私たちは、国民性だから仕方ないという理由で、誰もリーダーシップをとりたがらない状態を受け入れるしかないのか?
と思うかもしれません。
筆者はここで、「辺境性」という日本人の”特権”を逆手にとって最大限活用すべき、と主張します。どういうことでしょうか。
ひねくれた考え方ですけれど、華夷秩序における「東夷」というポジションを受け入れたことでかえって列島住民は政治的・文化的なフリーハンドを獲得したというふうには考えられないか。朝鮮は「小中華」として「本家そっくり」にこだわったせいで政治制度についても、国風文化についてもオリジナリティを発揮できなかった。それに対して、日本列島は「王化の光」が届かない辺境であるがゆえに、逆にローカルな事情に合わせて制度文物を加工し、工夫することを許された(かどうかは知りませんけど、自らには許しました。)』
『日本辺境論』(新潮新書)No.788-793、Kindle版
「方針が決まらない」、「上司が導いてくれない」。これらはサラリーマンがしばしば経験する苦難です。
しかし、考え方を転換してみると、「辺境地(上司の目が届かない場所、メインテーマから外れている場所)で自分のやりたい放題できる」とも言えます。
日本人は昔からそうやって、世界でも類を見ないほど特有の文化を生み出してきました。
「誰も決めない」、「はっきりしない」というのは、自分のオリジナリティーを発揮できる千載一遇のチャンスなのです。
「終わらない会議、導いてくれない上司。これらすべてが、そもそも日本の国民性なんですよ」と言われると、なんだか気持ちが軽くなりませんか。
ああ、われわれの「能力」の問題ではないのだ、と。
日本人の「辺境性」を理解し、自分の置かれた立場をチャンスだと捉え、目の届かないところで好きにやる。
これこそが日本人の正攻法なのかもしれません。
さいごに
上司が導いてくれない…。
これらを「人の能力のせい」ではなく「日本人そのものの性質」と理解することで、はじめて「じゃあ私はどう立ち振る舞うべきか」が見えてくると思います。
私は大学生時代にフィリピンへ留学し、研究室に所属していた時も中国人、韓国人、台湾人などと日常的に接していましたが、やはり日本人の「周りの意見を伺う」性格は非常に”特殊”だと感じました。
本書は、そんな”特殊”な日本人が集う日本社会で生き抜く考え方を提供してくれます。ぜひ読んでみて下さい。
コメント