「昔の人類は生きていくだけで精一杯だった…」。これって、本当でしょうか。
『石器時代の経済学』簡単解説
『石器時代の経済学』は、狩猟採取民だった私たち祖先の”ゆたかな”暮らしに焦点を当て、「狩猟採集民=貧しい」という現代人の間違った思い込みに一石を投じた本です。
著者のマーシャル・サーリンズはアメリカの人類学者。本書では、フィールド・ワークを通して得られた事実に基づいて、私たちの想像とは異なる、狩猟採集民の暮らしぶりを明らかにしていきます。
現代人は「社会をもっと豊かにしたい」と思って、日々労働に励んでいます。一方で、経済発展が進むにつれて所得格差が広がり、いまだに餓死や戦争が起きているのも事実です。
「”ゆたかさ”とは何なのか」、「経済発展によって人類は本当に”ゆたかさ”を手に入れられるのか」…。本書にその答えのヒントが隠されているかもしれません。
”ゆたかな”社会とは?
日本がもっと”ゆたかな”社会になったらいいな!
人々は誰もが、「”ゆたかな”社会」の実現を願っているものと思います。
ですが、そもそも、社会の”ゆたかさ”とは一体何なのでしょうか。
”ゆたかさ”と聞いてすぐに思いつくのは「お金」ですよね。誰もが生活に困らない程度のお金を有していれば、ちょっとした贅沢をして日々幸せを感じることができますし、趣味を楽しむ余裕も生まれます。
社会の”ゆたかさ”と聞いて「お金」が思いつくのは、「お金」=「人々が欲しいモノを手に入れられるツール」だからです。
本書では、このように「”ゆたかな”社会」を定義付けしています。
狩猟採集民の”ゆたかな”暮らし
「狩猟採取民の暮らし」と聞いて、皆さんはどんな生活を想像しますか?
食べ物を見つけるのにいつも苦労していそう…。
朝から晩まで狩りで忙しそう…。
実は、狩猟採集民の暮らしはこのようなイメージと全く異なることが、本書で明らかにされています。
狩猟=採集民は、われわれほど労働していない、というのが証拠歴然たる実状なのだ。しかも、たえまない労働どころか、食物探しは断続的であり、余暇は豊富にあり、他のどんな社会的状況でよりも、年間一人当りの日中の睡眠量は多いのである。
『石器時代の経済学』(法政大学出版局)25ページ
実際に、本書で紹介されているオーストラリアの狩猟採取民と現代サラリーマンの暮らしぶりを比較してみます。
現代のサラリーマン | 狩猟採集民 |
---|---|
8~10h労働/日 | 4~7h労働/日 |
週休2日 | 週休2~3日 |
オーストラリアの狩猟採集民は、一日4~7時間もあれば部族2、3日分の食糧を確保し、残りの時間は休息や昼寝、井戸端会議などをして暮らしていたことが記録に残されています。
平日8時間以上働いている現代サラリーマンの方が、狩猟採集民よりも生活を維持するための労働時間は長い。これはちょっとした驚きですよね。
この事実を見るだけでも、「狩猟採集民の暮らしはゆたかだった」と想像されるのではないでしょうか。
なぜ、狩猟採取民の暮らしは”ゆたか”だったのか?
狩猟採集民は現代サラリーマンよりも少ない時間で生活物資を確保し、余暇や睡眠時間をより多く持っていました。
では、なぜ狩猟採集民はそのような暮らしを維持することができるのでしょうか。筆者はこのように考察しています。
狩猟=採集民の生活は、その情況にせまられて、やむなく客観的に低い生活水準にとどまっている。しかし、それが彼らの目標なのであり、しかも適切な生産手段も与えられているので、すべての人々の物質的欲求は、ふつうたやすく充足されている。
『石器時代の経済学』(法政大学出版局)52ページ
狩猟採集民は、「日々満足いくだけの食糧が確保でき」※1、「十分な余暇と睡眠時間がある生活」を目指すべき目標にして暮らしています。そして、そのような暮らしは、豊かな自然と共生することで十分達成可能です。
一方で私たち文明人は、「広い一軒家に住んで」、「寿司や焼肉に行って」、「できれば高級車も乗り回したい」と欲望が尽きません。
しかも、その欲望というのは私たちの心の奥底から湧き出てくるものとは限らず、企業の「広告」や「マーケティング」に乗せられている場合がほとんどです。
資本主義社会の原動力はまさしくこの「人々の尽きない欲望」でありますが、尽きない欲望ゆえに、私たちは未だに長時間労働に縛り付けられているんですね。
経済成長はほんとうに必要か?
「社会を”ゆたか”にしたい」と皆が願って高度経済成長を続けた先の日本では、「過労死」や「所得格差」などが社会問題化しました。
そんな今だからこそ、「”ゆたかさ”とは何なのか」、「経済発展によって人類は本当に”ゆたかさ”を手に入れられるのか」、もう一度ゆっくり考えることが必要だと感じます。
筆者のマーシャル・サーリンズはこう言います。
なぜなら、あふれるゆたかさへいたる道は二つ可能だからだ。欲望は、多く生産するか、少なく欲求するかによって、《たやすく充足》できる。
『石器時代の経済学』(法政大学出版局)9ページ
欲望を煽って大量消費させる現代の資本主義社会が前者であれば、「足るを知っている」狩猟採集民は後者と言えますね。
私たち現代人は「経済成長こそ”ゆたかさ”を手に入れる絶対条件」だと思っています。一方で、狩猟採取民の暮らしぶりを明らかにし、ゆたかさに至るもう一つの道を提示したサーリンズの主張は、私たちのそのような思い込みに一石を投じています。
「”ゆたかさ”とは何なのか」、「経済発展によって人類は本当に”ゆたかさ”を手に入れられるのか」…。ぜひ皆さんも、本書を読んで考えてみてはいかがでしょうか。
※1:「日々満足いくだけの食糧が確保」とは、「お腹を満たすための必要最小限の食糧」という意味ではない。狩猟採集民は単調な食事に明らかに不満を示していたことが記されており、彼らは豊富な品目を用意するよう努力して、食事を”楽しんでいた”ようである。(『石器時代の経済学』(法政大学出版局)29ページ参照)
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