『今日の芸術』読了。単なる芸術論ではなく、「人間の生き方」にまで通じる哲学的な本でした。
『今日の芸術』簡単解説
『今日の芸術』は、「芸術のあるべき姿から人間の生き方までが綴られた、哲学的な作品」です。
著者の岡本太郎は日本を代表する芸術家であり、大阪万博の際に制作した『太陽の塔』などで有名です。「芸術は爆発だ」など、数々の名言も残しました。
芸術に携わっている人はもちろんのこと、それ以外の創造的な仕事をされる方にもおすすめの本です。
芸術のあるべき姿
岡本太郎は本書で、芸術のあるべき姿をこのように表現しています。
今日の芸術は、
うまくあってはいけない。
きれいであってはならない。
ここちよくあってはならない。
『今日の芸術』(知恵の森文庫)98ページ
普通、芸術と言えば「きれい・美しい・上手」などの言葉を思い浮かべますが、筆者はまったく反対の表現をしていますね。
いったいなぜでしょうか。
芸術は「ここちよく」あってはならない
世界でも有数のすぐれた芸術作品には、時代の常識を覆すような、独特の力を持っています。
すぐれた芸術作品は、あまりの突飛さ、斬新さから、その時代の人々の持ち合わせの教養・概念では理解されず、その時代の人々から酷い評価を受けてきました。
例えば、芸術家のピカソやゴーギャンは、今では優れた芸術家として名が知られていますが、彼らが生きていた当時はほとんど誰からも相手にされず、画家として食べていくことすら難しい状況だったと言われています。
社会に新しい視点や概念をもたらす優れた作品というのは、その性質上、簡単には人々に受け容れられないものなのです。
他人が見て「なんだかここちよい」、「なんだかいい感じ」と評価する作品は、筆者に言わせてみれば、「たいして新しくもなんともない作品」です。
「優れた芸術作品を生み出すこと」と「人々にウケるここちよい作品を創ること」は、まったく別のことなんですね。
芸術は「きれい」であってはならない
「きれい」という言葉は、「その時代の形式美に沿ったものに対して使われる表現だ」と筆者は述べています。
例えば現代では、ハリウッド映画女優のように鼻が高く目がまるっとした女性が「きれい」と言われます。一方で、平安時代の日本では、鼻が低く目が細い女性が「きれい」とされていました。
「きれい」とはつまり、「その時代の決められた型にはまっている」ことを表しているのです。
芸術というのは本来、自分の内面から溢れ出す思いや感情を表現するもので、時代に合わせた作品を創ることではありません。
筆者はこのような理由から、「真の芸術は、きれいであってはならない」と主張しています。
芸術は「うまく」あってはならない
うまいということはかならず「何かにたいして」であり、したがって、それにひっかかることです。すでにお話ししたように、芸術形式に絶対的な基準というものはありません。うまく描くということは、よく考えてみると、基準を求めていることです。かならずなんらかのまねになるのです。だからけっして、芸術の絶対条件である、のびのびとした自由感は生まれてきません。
『今日の芸術』(知恵の森文庫)166ページ
筆者はこう断言しています。
「うまく書こう」としているとき、人は必ずなにかの”手本”を思い浮かべています。
したがって、うまく書く努力をすればするほど、必然的に、オリジナリティーは失われてしまうものなのです。
芸術活動は、何事にも縛られず、自由な発想で、自分自身の内面を表現することが理想的なあるべき姿です。
「何かを表現する以上はうまくあらねばならない」という考え方をまず捨てることが、芸術活動の第一歩と言えるでしょう。
芸術活動は人生そのもの
本書は「芸術」を主題にしていますが、筆者の芸術に対する向き合い方は、私たちの「人生」そのものに対してても活用できるのではないでしょうか。
我々はよく、「個性的でありたい」、「他者とは違う人間でありたい」と願います。
そして、個性的で成功した人間としてスティーブ・ジョブズやビル・ゲイツを取り上げ、「私もあんなふうになるんだ」と努力します。
しかし、「個性的でありたい」と願って個性的な有名人の行動様式を真似するあまり、多くの人が没個性的になってしまっているのが現代の状況ではないでしょうか。
当時代の成功事例をトレースするだけでは、単なる成功者の劣化版(縮小再生産)が生まれるだけです。
筆者が述べる芸術の三大原則、
- うまくあってはいけない
- きれいであってはならない
- ここちよくあってはならない
これを私たちは頭の片隅に入れて、もう一度人生を顧みるといいのかもしれません。
以上、芸術家・岡本太郎の『今日の芸術』を紹介しました。
「表現活動を行っている人」、「岡本太郎の熱い文章から元気を貰いたい人」はぜひ一読してみて下さい。
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