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【解説】『自由からの逃走』【なぜ人々は”孤独”を感じやすくなったか】

今回は、私が愛読している本の一つ『自由からの逃走』(エーリッヒ・フロム)について紹介したいと思います。

目次

『自由からの逃走』簡単解説

『自由からの逃走』は、社会心理学者のエーリッヒ・フロムが1941年に出版した書籍です。

本書が出版された1941年頃と言えば、第一次世界大戦が終わり、敗戦国ドイツでヒトラー率いるナチスがちょうど台頭してきた時代でした。

ナチスが台頭してきた当時の社会情勢などを踏まえて、「なぜ人は進んで権力に服従するのか」「なぜ人々は自ら”自由”を投げ捨てるのか」といった問いについて考察しています。

昔の社会情勢を元にした本ですが、現代社会の人間心理も表現している大変興味深い作品です。

自由から逃避するメカニズム

個人という概念の出現

「なぜ人々は自ら”自由”を投げ捨てるのか」 を考察する前に、まずは、そのような人間心理が生まれた時代背景について整理したいと思います。

現代社会では、「個人」が非常にもてはやされていますね。

社会では「個人」の意見を尊重して…。

ビジネスでは皆さん「個人」のスキルを生かして…。

一人一人が自立した「個人」であることを当たり前の前提として語られますが、実は、中世(~1300年)まではそもそも「個人」という概念自体がほとんどありませんでした。

人間はその社会的役割と一致していた。かれは百姓であり、職人であり、騎士であって、偶然・・そのような職業をもつことになった個人・・とは考えられなかった。

『自由からの逃走』(東京創元社)53ページ

現代では就職活動をして仕事を選ぶ”自由”が謳われていますが、中世の頃は、地域・家柄・階級などによって(生まれた段階で)職業がほぼ自動的に決まっていました。

そのため、「私はこんな職業に就きたい!」とか、「海外で働きたい!」といったような「個人がどう考えるか」といった発想はそもそもしなかったわけです。

そんな社会状況でしたが、中世末期にルネサンス文化が開花すると、地域・家柄・階級などにとらわれない考え方が生まれ始め、人々はある程度職業を選択できるようになったり、様々な思想を持てるようになっていきました。

「個人」という概念が生まれた瞬間です。

個人は自由になり、孤独にもなった

「個人」という考え方が生まれ、職業や思想などを選択できることはいいことばかりのように感じられます。

しかし、人々は地域・家柄・階級などのつながりから解放されたことで、「地域の一員」や「組織のメンバー」としての帰属意識は失われ、「孤独感」が募るようになりました。

さらに、中世までは生まれながらにして社会的な役割が与えられていたものが、中世末期以降は自分で「役割(仕事)」や「やりがい」を見出さなくてはいけなくなったのです。

「自分はどんな仕事が向いているんだろうか…。」

「自分がやりたいことってなんだろう…。」

人々はこのような新しい悩みに対して、自分自身で答えを出すよう要請されるようになりました。

自由からの逃避

「個人」は資本主義社会にたった一人で投げ出され、市場や資本(企業)という巨大な力から求められるままの”機械人形”として行動せざるを得なくなります。

  • 「面接官ウケがいい」という理由でボランティアや資格取得に励んだり…
  • 興味のない単純作業の業務に長時間従事したり…

このようなことを繰り返していると、自分の”発想”や”創作”で社会と関わることが極端に少なくなり、自分は社会に何の影響も及ぼしえない、「無力」で「微小」な存在であると感じるようになってしまいます。

個人はこの支配できない次元に比較すれば、ごく小さな微粒子にすぎない。個人のできるのは、行進する兵士や無限のベルトにとっくむ労働者のように、歩調をあわせることだけである。かれは行為することはできる。しかし独立や意味の意識は消えている。

『自由からの逃走』(東京創元社)148ページ

人々が「無力」で「微小」な存在であると感じてしまうと、なにが起こるのでしょうか?

例えば、「もう生きていても意味がない」と言って自殺したり、「失うものは何もない」と言って社会に迷惑をかけるような行動を起こしたり(「無敵の人」というワードが話題になりましたね)、怪しい宗教団体に救いを求め始めたりします。

おびえた個人は、自分をだれかと、あるいはなにものかと結びつけようとする。もはやかれは自分自身をもちきれない。かれは狂気のように自分自身から逃れようとする。そしてこの重荷としての、自己をとりのぞくことによって、再び安定感をえようとする。

『自由からの逃走』(東京創元社)170ページ

まさしく、現代の社会状況を示しているのではないでしょうか。

人々が安心して暮らせる社会とは

自分は社会の一員であるという「帰属感」、居てもいいんだという「安心感」を感じれる社会となるために、なにか処方箋はあるのでしょうか?

フロムは、「帰属感」、「安心感」が感じられる社会を形成するための一つのキーワードとして「自発的な活動を介した社会とのつながり」を挙げています。

すなわち、他人や自然との原初的な一体性からぬけでるという意味で、人間が自由となればなるほど、そしてまたかれがますます「個人」となればなるほど、人間に残された道は、愛や生産的な仕事の自発性のなかで外界と結ばれるか、でなければ、自由や個人的自我の統一性を破壊するような絆によって一種の安定感を求めるか、どちらかだということである。

『自由からの逃走』(東京創元社)29ページ

例えば、中世の頃の靴職人は自分の技術でもって町民の足元を彩り、商人はお得意様の趣向を熟知して仕入れを行うなど、自身の”発想”や”創作”が仕事に生かされていました。

かれらは自身の仕事に「誇り」や「やりがい」を感じ、この町の一員であるという「帰属感」も感じていたはずです。

きっと現代にも、自分の”発想”や”創作”によって社会とつながる機会が必要なのだと思います。

会社員や公務員の中で単純作業の仕事ばかりだという方も、例えば「副業」などと言った形で、自分の”発想”や”創作”を社会に発信できるかもしれません。

「副業」が推進され、職場以外にも様々な「コミュニティ」がある社会となれば、人々が より「帰属感」や「安心感」を感じて暮らしていけるのではないかと思います。

以上、

『自由からの逃走』(エーリッヒ・フロム) を解説しました。

数十年以上前に書かれた本ですが、現代社会にも生かせる知恵がたくさんつまった素晴らしい作品だと思います。

ぜひ気になった方は手にとって読んでみて下さい。

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