『生の短さについて 他二篇』(セネカ)が非常に考えさせられる作品でした。
『生の短さについて』簡単解説
『生の短さについて』は、紀元前1年頃を生きたギリシャの哲学者「セネカ」の代表的な書物です。
セネカはローマ帝国の政治家として活躍しながら、多くの悲劇や著作を遺しました。
本書は、セネカがローマ帝国の食糧管理官であったパウリーヌスに対し、「仕事に忙殺されるのを辞めて自分の人生を生きよ」と説いた書簡になります。
現代に生きる多くの人は、まるで自分に対して言われているようで、ハッとさせられる作品ではないかと思います。
「人生の後回し」は時間の浪費である
今は仕事で忙しいけど、定年したら田舎に引っ越して、趣味に没頭しながら豊かに生きるんだ…。
あと10年間は仕事を頑張ってお金貯めて、FIREしてから”第二の人生”を謳歌するぞ…。
職場やSNS上でこのような方を見かけることがあるかと思います。
「今の仕事が忙しい…」、「時間が無い…」。
これは何も現代に特有の事ではありません。二千年前に生きていた人々も、全く同様の事を考えていました。
セネカは、このような「自分のための人生」を後回しにする行動を痛烈に批判しています。
多くの人間がこう語るのを耳にするであろう、「五十歳になったあとは閑居し、六十歳になったら公の務めに別れを告げるつもりだ」と。だが、いったい、その年齢より長生きすることを請け合ってくれるいかなる保証を得たというのであろう。事が自分の割り振りどおりに運ぶことを、そもそも誰が許してくれるというのか。
(中略)
生を終えねばならないときに至って生を始めようとは、何と遅蒔きなこと。
『生の短さについて』(岩波文庫)18ページ
「定年後に自分のやりたいことをやろう」と考えていても、その時に自分の体が健康である保証はどこにもありません。
「10年後にFIRE(株式投資などで不労所得を得ること)」を夢見ても、このまま投資先の株価が右肩上がりに上昇することを誰が保証してくれるというのでしょうか。
そして、そもそも、将来のために捧げる「若き日の時間」は、二度と帰ってくることがありません。
「未来」ではなく「今」を生きる
セネカは、「自分のための人生」を後回しにする人はいかに「時間」が貴重か気づいておらず、結局いつになっても自分の人生を生きることはないと説きます。
何かに忙殺される人間の属性として、(真に)生きることの自覚ほど希薄なものはない。
(中略)
あれほど多くの偉人たちが、富や公務や快楽を拒絶し、すべての障害を排除して、生きる術を知るという、ただこの一事のために全生涯をかけた。しかも、彼らの中には、自分はいまだにそれを知らないと告白して世を去った人も多い。生きる術は、いわんや、何かに忙殺される人間には知るべくもないものなのである。
『生の短さについて』(岩波文庫)26ページ
「今は我慢して定年後に自分のやりたいことをやろう」と言っていた人が、結局定年を迎えても、色んな理由を付けて何も行動していない例はよく見られますね。
それは、今まで「言われたことを忠実にこなす仕事」に人生の長い時間を費やしたせいで、「自分が本当にやりたいこと」を考える暇がなく、「それを行動に移す術」も身に付けていないからと考えられます。
「自分の成し遂げたいことをするには時間がかかること」、そして、「そのために与えられている時間は限られていること」を知ることから始まるのではないかと感じます。
君は運命の手の中にあるものをあれこれ計画し、自分の手中にあるものを喪失している。君はどこを見つめているのか。どこを目指そうというのであろう。来るべき未来のものは不確実さの中にある。ただちに生きよ。
『生の短さについて』(岩波文庫)32ページ
「ただちに生きよ」。このフレーズが心に刺さります。
さいごに
今回は、『生の短さについて』(セネカ)について紹介しました。
この本を読んで最初に感じたことは「今も昔も、人間は全然変わってないんだな」ということでした。
現代に生きる人々の置かれている状況や悩みは、二千年前のローマ人と共通するものが多々あります。
たぶん、『テルマエ・ロマエ』のように古代ローマ人が現代へタイムスリップしても、なんだかんだ、すぐに馴染めるのではないかと思いますね。
そういう意味でも、二千年前の哲学者セネカから現代人が学べるものは非常に多いと感じます。
ぜひ皆さんも一度手に取って読んでみて下さい。
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