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【解説】『武器としての「資本論」』【なぜ格差は広がるのか?】

今回は『武器としての「資本論」』(白井聡)という本を紹介していきます。

目次

『武器としての「資本論」』簡単解説

本のタイトルにもある「資本論」とは、1800年代の哲学者カール・マルクスが当時の資本主義社会について描いた書物です。

マルクスは産業革命下のヨーロッパにおいて大勢の労働者が劣悪な環境で労働させられているのを目の当たりにし、「資本論」の中で資本主義の暴走を鮮明に描き出しました。

数ある「資本論」解説書の中でも今回取り上げた『武器としての「資本論」』が斬新だと感じた点は、マルクスが生きた1800年代から現代にいたるまでの「資本主義社会の変遷」について触れている点です。

現在の資本主義社会はマルクスが生きた1800年代の資本主義社会とどう同じでどう異なるのか、現代版「資本論」としても読める作品だと思います。

資本主義の変遷

なぜ資本主義社会は「右肩上がり」に経済成長を続けられているの?
それなのに、労働者はなんで貧しいままなの?

このような疑問に対して、筆者の白井さんは非常に分かりやすい分析をしています。

産業革命期(1800年~)

資本主義社会が急速に発展したターニングポイントは「産業革命」であると一般的に言われています。

産業革命が革新的だった点は、エネルギー源として石炭の利用が見出だされたことです。石炭の利用によって蒸気機関や鉄道などが生まれ、産業は手工業から機械工業へと変化していきました。

産業革命により技術が進歩した結果、世の中にはモノが溢れ、金持ちは豪華なドレスと靴に身を包んで舞踏会へ行き、食べたいものは好きなときに好きなだけ食べる生活を手にしました。

一方で、当時の貧しい労働者たちは朝から晩まで働かされ、お金持ちとは程遠い生活を送っていたと言います。

最初は金持ちたちの消費だけで回っていた資本主義社会ですが、20世紀後半になってある程度社会にモノが行き渡ると、「これ以上モノを作ってもそれを買う金持ちがいない」という状況になっていきます。

資本主義が行き詰まってくるのです。

ここで、もっとモノを作って儲けたい資本家たちは、発想の大転換を行います。

大衆消費社会の幕開け(戦後~1970年代)

資本主義社会の第一の転換期において重要な役割を果たしたのが、当時アメリカを代表する自動車メーカーだったフォード社です。

フォード社が画期的だった点は、自動車を「金持ち」だけでなく「労働者」にも売ることを考えついたことです。

貧しい労働者が自動車を買えるようにするためには、労働者に金銭的な余裕を持たせ、当時高級品だった自動車の価格を下げる必要がありました。

そこでフォード社は実際に労働者の給料を上げ、生産工場内にはライン作業を導入し、生産費を下げることで自動車の販売価格を安くすることに成功します(T型フォード誕生)。

フォード社の成功によって、「労働者が働き労働者が消費する」という「大衆消費社会」が幕を開け、資本主義はさらに成長を続けていきました。

「大量生産大量消費」を前提とする20世紀後半(戦後~1970年代)の資本主義社会は、フォード社にちなんで「フォーディズム型資本主義」と呼ばれます。

大衆消費社会の行き詰まり(1970年代~現在)

労働者を消費者として迎え入れることで、「大量生産大量消費」の時代が始まりました。庶民も一家に一台「自家用車」を保有し、「三種の神器」と呼ばれるテレビ・洗濯機・家電などの電化製品も広く普及していきます。

この頃、物を作れば作るほど資本家は潤い、労働者たる庶民も生活が豊かになるので、資本家と労働者はWin-Winの関係でした。

しかしながら、これも長くは続きません。

労働者に対しても十分に製品が行き渡ると、大量生産大量消費を前提とする資本主義社会も行き詰まり始めます。

物が以前ほど売れなくなった時、資本家たちはどうやってさらなる利益を獲得しようとするのか。

給料を上げても労働者が思うように消費しなくなった今、資本家は労働者を再び「搾取」することで利益増大を図ります。

具体的には、「派遣労働者」のように低い賃金で働く労働者を積極的に雇用し、人件費を削減し始めたのです。

労働やその他様々な部分に市場原理を導入し、より効率的・生産的にしようという現代(1970年代~現在)社会はネオリベラリズム(ポスト・フォーディズム)型資本主義と呼ばれます。

白井聡さんは「派遣労働者」や「過労死」などの問題で溢れかえる今の状況を見て、「マルクスの時代へと後戻りしている」と言っています。

現在進行しているのは、社会が液状化し、人々が寄る辺なき「はじまりの労働者」に戻されていく過程にほかなりません。

159ページ、武器としての「資本論」(東洋経済新報社)

再び資本家による搾取が表面的になっていきているのです。

筆者の提言

皆が経済成長の恩恵を享受して経済的・精神的に豊かな暮らしを営むために、社会はどう変化すべきなのでしょうか?

筆者である白井さんは「贅沢する権利」の大切さを主張しています。

例えば、派遣労働者で年収が300万だったとしても、文字通りの意味で”生きていくこと”はできますよね。

しかし、寝ていてもお金が入ってくる資本家がいる一方で、毎日過酷な肉体労働をしてもギリギリの生活費しか稼げない労働者がいるのは、やはり社会が歪んでいると思います。

皆が豊かに暮らせる社会を実現するためには、まずは、格差が生まれているこの社会状況に対して「おかしい!」と声を上げることがスタート地点になります。

それに立ち向かうには、人間の基礎価値を信じることです。「私はもっと贅沢を享受していいのだ」と確信することです。贅沢を享受する主体になる。つまり豊かさを得る。私たちは本当は、誰もがその資格を持っているのです。

『武器としての「資本論」』(東洋経済新新報社)279ページ

「私なんて低学歴だから、こんな年収低くても仕方ないよね」と考えてしまう人はその時点で、資本主義社会の“カモ”になっているのかもしれません。

例えば江戸時代ぐらいまで遡ってみると、村の集まりで誰でも無料で三味線などの演奏が聴けて、漁で大量だった時は、ご近所さんを集めて無料でご馳走を振る舞っていただろうと思います。

しかし、現在はどうでしょう。

音楽フェスに参加するにも1万円。美味しいお魚を食べるのにも料亭で1万円。

すべてが「商品」と化しています。

これはごく一部の極端な例かもしれませんが、本来であれば全員が享受できていたサービスも、資本主義社会の発展とともに低所得者の手の届かないものになっていっているという現実があるのです。

「人間はもっと豊かに暮らす権利がある」ことを主張し、高年収で甘い蜜を吸っている人も「低年収のい人は努力してないんだから自己責任だよね」で終わらせない。

それが、現在の格差社会を変える一歩になるかもしれません。

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