「生活水準の向上」は私たちの「満足度」を上げているのか?
世界では今日もどこかで技術革新が起きており、私たちの生活水準は、今も劇的に向上しています。
私たちは朝から晩まで畑を耕さなくても、UBERを使えばできたてのご飯が玄関に届くようになりました。洗濯板で一枚ずつ服を洗わなくても、ボタン一つで洗濯できるようになりました。YoutubeやSportfyを使えば、動画も音楽も無料で視聴できる世の中になりました。
生きていくのに膨大な時間とコストをかけていた時代から、たった数十年程度で、多くの人が便利なサービスを低コストで利用できるようになり、生活レベルは各段に向上したと思います。
昔の人が現代の生活を知ると、きっと羨ましがることでしょう。では、私たちは昔の人よりも「満足度が向上した」と言えるでしょうか。ここで、日本における生活満足度の世論調査を見てみましょう。
1960年代から、「満足である」と「不満である」の割合はおおよそ平行線をたどっており、コロナ禍以降(2020年以降)に至っては、生活満足度は著しく低下しています。
『生活水準の向上』と『生活満足度』は比例していないことが一目瞭然です。
では、私たちは「生活の満足度」を一体どこに求めれば良いのでしょうか?
「満足度」は「期待と現実の間のギャップ量」で決まる
例えば、仕事で大きな成果を挙げたAさんについて考えます。Aさんは、
たまたま運が良かっただけ。来年も淡々と自分の役目を続けるのみ!
と謙虚に捉えていましたが、業績が思った以上に評価され、年収が50万円アップすることになりました。Aさんは幸せでしょうか。おそらく想定外の昇給を貰って「満足」と思います。
次に、Aさんと同じだけの成果を挙げたBさんがいたとします。Bさんは、
これだけの業績を出したのだから、昇進して、年収も200万円くらいアッしないと割に合わない!
と考えていました。業績は確かに評価されましたが、役職はそのまま。年収は50万円アップに留まりました。Bさんは幸せでしょうか。期待が裏切られ、「不満」だと思います。
同じ「年収50万円アップ」にも関わらず、なぜこのような気分の違いが現れるのでしょうか。それは、AさんとBさんの間で事前の「期待値」が異なっていたからです。
現代社会で「足るを知る」のは難しい
生活水準が向上したにも関わらず、私たちの生活満足度が昔と変わらない理由。それは、「生活水準の向上に伴って、私たちの生活水準に対する期待値も一緒に上昇しているから」だと言えます。
- テレビを見ていたら、ある企業経営者の豪遊っぷりが紹介されていた…。
- SNSを見ていたら、高校時代の友達が世界一周旅行の写真を載せていた…。
- ブランド商品を爆買いしているユーチューバーの動画を見た…。
こんな状況で、
「いやいや、あなたの年収は平均よりは上で、別に不自由なく生活できているじゃないか」
と言っても、なんの救いにもなりません。もう既に期待値が上がってしまっているからです。
特に、現代社会ではあらゆる情報を簡単に入手可能なため、隣の芝がどうしても青く見えてしまいがちです。
もし自分の「生活満足度」を上げたいのであれば、
- 私たちは歴史的に見て非常に豊かな暮らしを送っているという”事実”に気づくこと
- SNSやYoutubeといったジャンキーな媒体からはできるだけ距離を置くこと
から始め、知らず知らずのうちに上がっていた「期待」を意識的に静めていくことが大事と思います。
「満足度」は、全て私たちの考え方次第であることを覚えておくと、幸せな日々が送れるような気がしています。
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