TOEICは”意味がない”のか?
『TOEIC』は「最も一般的な英語の資格試験」であり、大学院入試や就職活動時に点数の開示を求められることが多々あります。
TOEICの点数なんて”飾り物”でしょ!?
資格試験で本当の能力なんて測れないよ。
TOEICを頑張るくらいなら、英会話みたいに”使える”スキルを学んだ方がいいんじゃない!?
大学生の頃は、私もこのように考えていました。しかし、嫌々ながら大学院入試や就職活動の為にTOEICを勉強し、そして様々な人と意見交換するうちに、TOEICのような「資格試験」に対する考え方が徐々に変化していきました。
TOEICを勉強する意味は無いのか…。資格試験を受ける意味・価値とは一体何なのか…。
まずは、「資格試験なんてクソくらえ!」と思っていた、大学生時代の私の日記をご覧ください。
日記(2014/9/27)
私は資格検定が嫌いだった。
社会は人の才能を測る基準として資格や検定、特にTOEICを使いたがるが、実際なにをしたいのか分からなかった。社会は何を求めてるのか。「英語をビジネスの現場で使える人」を求めているのではないのか。それがどうだ。某大企業から語学学校に送り込まれてきたTOEIC900点越えの人に会ったが、彼は全くと言っていいほどスピーキングができなかった。そんなに高いTOEICスコアを持っているのに肝心のスピーキングはできない。英語を話すことを抜きにして、誰がビジネス英語を語れようか。TOEICは社会が求めている英語の能力を何一つ測れやしない。そう思っていた。
そんな考えが、親と話し込んでいるうちに段々変わってきた。
親は言った。
「たしかに、英語が全くしゃべれない人だって、しっかり対策本をすれば高い点数を取ることができるかもしれない(し、取れないかもしれない)。だけど、スピーキングを含め、英語をビジネスで十分に使える人は、必ずと言っていいほどハイスコアが取れるものだよ。採用した人が実は英語が話せなくても、会社は別にいいんだ。社会は本当に英語が使える人ではなく、その「最低限度の基準」を満たしている人かどうかを見ているんだよ。」
なるほどと思った。
会社は毎年毎年ものすごい数の応募者をさばかないといけないので、いちいち一人一人に十分な時間を割いて面談するということができない。そのため、まず「最低限度の基準」を設けてふるいをかける。採用した人が英語を堪能に使える人ならば大当たりである。しかし、決してビジネスシーンで使えるほどのものでなかったとしても、これからゆっくり育ていける。そのための基礎はあるのだから。実際、自分が通った語学学校にも会社のお金で半年または一年間の留学にきている人がたくさんいた。しかも給料付きで。このようにみると、ものすごい数の応募者の中から人を選別するときに資格や検定を使用するのは、会社にとっては時間的にも金銭的にも一番合理的なやり方のように思える。
資格、検定、高校受験や大学受験なんてものは見当違いの評価方法でなんの意味もないと昔は思っていたが、今は夢を叶えるための飛び道具だと考えるようになった。当たり前だが人間一人では生きていけない。夢を叶えるにも他人の助けが必要だ。それはまず、会社に雇ってもらうことであったり、奨学金をもらうことであったり…。助けを得るためには、必ずたくさんの応募者と競わなければいけない状況に出くわす。そんなとき、四次元ポケットから『認定証』を取り出せる人は強い。
忘れてはいけないのは、(社会はこれからも人を選別するために資格・検定の結果を見るが、)資格を持っている人、またはTOEICで高い点数を持っているだけの人は、社会が本当に求めている人物像ではないということだ。資格・検定はあくまで「関門を通るためのファスト・パス」であり、通過点であって、ゴールではない。しかし、これらは夢を叶えるための近道を僕たちに提示してくれたりもする。
そういうわけで長くはなったが、TOEIC IPテストを大学で受けた。語学留学中はTOEICの勉強などまるでしなかったので、対策として『TOEICテスト超リアル模試600問』これをやった。
中には本試験に似せた模試が3回分収録してある。解答・解説の冊子が分かれていたので、持ち運びしやすく便利だった。本番はこの模試と比べてリスニングが難しく、リーディングが少し簡単なように感じた。今回の受験で「自分の力はまだまだこんなもんだ」ということを痛感した。本当は院試でTOEFLが必要なので、これからはちょっとずつそちらの勉強をしていこうと思う。
資格試験を受ける意味・価値とは
なぜ、社会はTOEICなどに代表される資格試験を評価に用いるのか?
それは、「膨大な数の応募者を選別する際に、資格試験は短時間・低予算で最も合理的な”ふるい”となり得るから」です。
TOEIC高得点の人は、必ずしも英語を流暢に話せるわけではありません。しかし、英語を流暢に話せる人は、必ずと言っていいほどTOEIC高得点なのです。
採用活動を行う人事の方々はたくさん仕事を抱えていますし、大学入試に携わる教授陣は採点が本業ではありません。そんな中、資格試験は、「いい人材を」、「ある程度の割合で」、「手っ取り早く」採用するための効果的な基準になります。
社会がどのような原理で動いているか理解すると、「TOEICは実はすごくコスパがいい(頑張り甲斐がある)資格試験じゃないか」とも思えてきます。
資格試験は『真の能力を示すもの』ではなく、『夢に近づくためのファスト・パス(道具)』と捉え直すと、すんなりと腑に落ちるのではないでしょうか。
読者の皆さんの資格試験に対するモヤモヤした気持ちが少しでも晴れて頂けたら幸いです。
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